捧げる

1時間弱歩いて依存症自助グループのミーティング会場へ。

ミーティング終了後、気の置けない仲間を誘ってドトールへ行った。ドトールカードの残高で、なんとかコーヒーSを買うことができたから。仲間と債務整理のことで相談したかった。結局自分の状況だと任意整理がベターだという結論になり、経験者からのお墨付きを貰ったようで安心した。その後も話は尽きず、いつの間にか12ステッププログラムの、12番目のステップの話題に。「こんな自分たちだからこそ、伝えられるメッセージかあるんじゃないだろうか」「このメッセージを他の強迫的ギャンブラーに伝えていく。そういう生き方もある」「一部の仲間はメッセージを運ぶことに人生を捧げている。それでいいんじゃないか」そうこう話しているうちに「ああシンプルでいいんだ。」みたいな感覚と安心感に包まれる体験をした。そうだ、神様に自分を捧げる、それでいいんだ、と。

自分は12ステップを中途半端につまみ食いしている状態で、12番目のステップを実行に移すには早い段階だ。でもいつの日か他の仲間に自分しか伝えられない経験や痛み、成長や回復を分かち合うことができる日が来るかもしれない、という希望を持つことはとても良いことだと思う。その意味でいままで5年近く自助グループに参加していて、感じたことのない希望を感じることができた日が、昨日の仲間とのドトールフェローだった。

仲間に捧げる。自助グループに捧げる。そして神様に捧げる。これらはつながっていると思う。平日は懸命に働く。神様にぜんぶゆだねて。僕が見えなくて焦っている未来を、神様は完璧に知っている。神様がぜんぶ見えてる。だから大丈夫。だから安心。自分はゆだねればいい。ああなんてシンプルなんだ。

いつか苦しんでいる誰かに希望のメッセージを伝える日が来る。こんな自分が。自分にとってそれ自体が希望だ。